「飯〜」
「メシ〜」
「あー、ゴクツブシが帰ってきた」
「お帰り〜ロクデナシ」
「ちゃんと仕事探せよカイショウナシ」
「しとるわちゃんと今は! 明日も朝から仕事だ!」
「見栄張るなよムダメシグライ」
子供の集団というものは、どこの世界も同じようなものだ。
「てけり・り」
「ただいまダンセイニ。今日もやつれておるな」
「てけり・りぃ」
その猛威は宇宙的怪異をも圧倒し、思慮なく発する言葉は心を抉る。
「あらあら、今は、という事は以前はやはり」
「出て来るなりさらっと追い討ちかけんで下さい……」
だが九郎にトドメを刺したのは、もう子供とはいえない少女の言葉だった。
「お帰りなさいませ、大十字様、アル様」
ラクス・クライン。どこぞの要人の娘だとか、元どっかの国民的アイドルらしいが、浮世離れした振る舞いを除けば九郎にとっては世話になっている所の娘さんでしかない。あくまで九郎にとっては。
そこは郊外の海辺に建つ、妙に豪華な一軒屋だった。ユニウスセブン落下の被害を受けた孤児院の仮住まいと、この場を紹介してくれた知り合いの少女国家首長さんは説明したし、実際子供も多数いるが、元々は何の施設なのかはよくわからない。
ここの主人っぽい盲目の男、いかにも軍人上がりな隻眼の男、口数の少ない少年、その母親らしい女性、極めつけはラクスやマリューと、怪しげな人物の満貫全席なのが気になるが、ほとんど怪異の九郎やアルが言えた物ではないし、この程度で動揺するような細い神経も持ち合わせていない。
タダで食事も寝床も提供されるのが、赤貧経験者たる者には全ての事情に優先するのだ。
子供だらけのにぎやかな食卓も、アーカムでの生活を思い出して懐かしいやら切ないやら。
食後にも子供と遊んでやったというか遊ばれた九郎は、疲れからすぐに寝てしまった。
皆が寝静まった深夜、アルは孤児院(仮)の屋上に居た。
都市部から離れた海岸はどこまでも暗い。
魔道書ゆえに暦の知識も詳細に有するアルは、夜空を埋め尽くす星の中から異質な光点を多数判別していた。
人工衛星や低軌道を行く宇宙船、連合とザフトの小競り合いの光芒、そしてプラント他人々の住むコロニー群。
大した意味も無くアルは、光点が集中する位置に意識を集中した。身体から輝く魔術文字が列を成して湧き出て視覚を増幅すると、砂時計型のコロニーの群れがぎりぎりで判別できた。
世界を二つに割る戦争の一方の当事国、宇宙都市国家プラント。それは宇宙の深遠にあって砂粒よりも小さな人工島が、外敵から身を護るように寄り添い合って形成されていた。
ユニウスセブンの死骸を見たアルには、それは哀れなほど脆弱に見えた。
―――いかんな。
知覚増幅を切ったアルは、頭を振って自戒した。
―――この世界の異邦人である我らが何者かに肩入れするのは危険だと、先程九郎に言ったばかりではないか。
核による全滅の脅威にさらされているプラントとて、一方的な被害者ではない。
ふと背後に、誰かの気配を感じた。
「何かの魔法ですか?」
女の声で話しかけられ、振り返るとラクスが立っていた。
魔術使用に意識を集中していたとはいえ、かなり近付くまで気配に気付かなかった。
「大した術ではない。望遠鏡の真似事だ」
「ああ、星を見るには絶好の夜ですものね」
「汝はこんな夜遅くに散歩か?」
「アル様と同じです。あまりに星が綺麗なので、眠るのが勿体無くて。お邪魔でなければご一緒してよろしいですか?」
「星は誰のものでもなかろう。構わぬよ」
汝とは一度ゆっくり話をしたかったしな、と胸の内で続ける。
「ありがとうございます」
いつものように笑顔のままラクスは歩み寄り、アルの隣に立つ。
「先程の魔法は、どの星を見ていたのですか?」
「汝の故郷だ。行ったことはないが、良い所なのであろう?」
「プラントですか。そうですね……良い所ですわ」
その口調には、どこか影があるような気がした。
「整った街、整った自然、整った天候……人が思い描く理想郷に、この世で最も近い場所でしょう」
「そうは思っておらぬ口調だな」
そう言われて返す笑顔は、いつもより悲しげに見えた。
「所詮は人の作ったもの、完全でない者が追い求めた理想です。どうしても破綻はありますわ」
それはプラントのコロニーだけを指した言葉ではないと、この世界について調べたアルには直感できた。
ラクス自身も含めた遺伝子操作人類、コーディネーター。これこそ人の理想が生み出した者達であろうが、技術的にも思想的にもいまだ問題は多く、今回の戦争の火種にもなった。
「それが、汝の行動の動機か?」
「さて、何の話でしょうか?」
「とぼけるな。2年前に汝らが何をしたか、妾が知らぬと思ったか」
アルの詰問にも、ラクスはあくまで笑顔の仮面を崩さない。
「大した事はしていませんわ。私達は自分の成すべき事を探し、出来る事をしたまでです」
「その割には大事になったようだが」
「自然は自然らしく。人は人らしく。私が望むのはただそれだけですわ」
「ふん、まあ良い。汝らがこの世界をどう変えようと、それはこの世界に生きる汝らの自由。妾達には関係ない。 だが九郎を巻き込むならば容赦はせぬぞ」
「大十字様を?」
「とぼけるなと言ったであろう。この施設がどういうものか調べはついておる。ここに我らを置いて何を目論む?」
睨み付けるアルにラクスは軽く溜め息を吐き、笑顔に少女のものではありえない凄みが混じる。
「そうですわねぇ。あえて言うなら……あなた方お二人、特に大十字様がお心のままに行動すること、でしょうか」
虫の音が止む。
「それで我らが汝らの仲間になって、戦争でもするとでも思ったか?」
「まさか。ただ大十字様には善良なまま、目の前で子供が傷付くのを見過ごせない方でいらっしゃれば十分です」
無邪気に騒ぐ子供達の顔が、アルの脳裏に浮かぶ。
「ここが危険だと言うのか? 子供に危害が及ぶと!?」
今まで抑えていた声が、自然と粗くなる。
「さて。何も起こらないかもしれませんし、起こっても多少の用意は有りますが……何分事がことですから、少しでも安全が高まるなら、手段は選ぶべきでないかと」
「素直なのは美徳だが、それを聞かされて我らが汝を護ると思うか?」
「ですから、子供達を見捨てないだけで十分です。見捨てられる大十字様ではないでしょう? 私や大人が自力で切り抜けられないなら、どうぞ捨て置いて下さい」
「それで潔いつもりか? 気に入らぬな」
アルの嫌味にもラクスは、何を考えているのか判らない満面の笑みを返す。
「ふん、まあ今夜は汝と話が出来てよかった」
「対話は何よりも大事です。私もお話が出来て嬉しいですわ」
「とりあえずは……汝が口先だけで己の身も護れぬという事もわかったしな」
「?」
疑問の表情をしたラクスが、口を開きかけた時―――無数の銃弾が暴風となって襲い掛かった。
実のところ、かなり前に気配には気付いていた。
先程ラクスが近付くのに気付かなかったので、普段よりも感覚を鋭敏にしていたのだ。
虫の音が止んだ時に敷地内に侵入したのも、屋上に居る二人に気付いたらしいのも、銃を構えて膨れ上がった殺気も察知していたから、その瞬間に防御結界を張るのも容易かった。
銃弾が光り輝く魔術文字の壁に弾かれ、火花を散らす。その大半はアルの目の前よりも少しずれた位置、ついでに覆ったラクスの周囲を捉えていた。
「……な?」
「目標は汝のようだな」
動揺するラクスを見て、多少は溜飲が下がる。
「もしや妾を狙ったのではと思い、念のために汝も護ったのだが、そうでなければ汝は死んでおったぞ。 こんなザマで用意だの捨て置けだの……ええい煩い!」
なおも止まない銃弾に苛立ち、植え込みへ衝撃波を放つと、枝葉と共に武装した男が二人ほど吹き飛ぶ。
「あ……ありがとうございます、アル様」
ようやく硬直から立ち直ったラクスだが、すぐにいつもののんびりした口調を取り戻して深々と礼をするのを見ると、意外と大物かもしれない。
「汝には色々言いたい事もあるが、今はそれどころではあるまい。あ奴等は内部にも侵入したぞ」
「はい、急ぎましょう」
屋内に駆け込むと、どこからか銃声が響いていた。
「応戦はしておるようだな。避難場所はシェルターで良いな?」
「はい、そこに逃げ込めば簡単には手出し出来ない筈です」
「汝らの為ではないぞ」
「はい、子供達を避難させて頂ければ助かります」
「ちっ……撃つな!」
舌打ちしたアルが何か言う前に、廊下の角から銃を構えたマリューが飛び出した。
「アルさん? ラクスさんも。こんな夜中に何処へ行ってたんです?」
答えずに、彼女が護衛していた子供達の中に居た九郎に駆け寄る。
「アル?」
九郎の声にも答えず、彼と融合してマギウススタイルへと変身した。
「何か知らんが誰かの襲撃みたいだな。一丁蹴散らして……」
「だめだ、手出しするな!」
「ああ?」
「全く馬鹿げておる。巻き込まれたと判っておるのに、思惑通りに動くしかないとはな!」
「てけり・り」
小型化して肩に乗ったアルの剣幕に、九郎とダンセイニは絶句した
「だがこの場限りだ! 汝らに付き合うのも、この子らを護るのもな!」
デフォルメされた可愛い顔を忌々しげに歪め、ラクスやマリュー、マルキオに向かって叫ぶ。
ラクスとマルキオの表情は変わらないが、マリューは呆気に取られていた。
その後地下へ向かう間も何度か侵入者が襲ってきたが、マリューが見事な手際で撃退し、子供や非戦闘員に近づけない。
「あの人って技術者だろ? 何であんなに強いんだ?」
半ば呆れた九郎の呟きに、ラクスが答える。
「人は様々な才能を持っていますが、それを生かす道を選ぶとも、望むとも限りません」
「なるほどね」
マリューがいかに白兵の才能を持っていても、軍にあって技術仕官の道を選び、それを勝ち取ったのは彼女の自由であり、誰かが口出しする問題ではない。
地下シェルターの扉の前に辿り付く直前にバルトフェルトも合流し、マルキオがコンソールに開閉コードを入力する間マリューと二人で廊下の先を警戒する。
だがマギウススタイルで感覚が鋭敏になった九郎は、別の方向からの押し殺した気配に気付いた。
換気ダクトの格子の中から殺気が発せられ、レーザーポインタがラクスの後頭部を狙う。
「ラクス!」
「危ねぇ!」
それに気付いたキラがラクスに飛び付くより早く、九郎はマギウスウイングで銃弾を弾き落とし、愛用の大型拳銃でダクトを撃つ。壁に大穴が空き気配が消え、しばらくして血が流れ出す。
「ちっ……」
九郎が生身の人間を殺すのは、これが初めてだった。魔物や魔に堕ちた者を討った事はあるが、人間と戦ったのはユニウスセブン戦でジンを撃墜したくらいである。
「手を出すなと言ったであろう。気分が悪いのならなおさらだ」
「無理言うな。お前さっきから何をぶーたれてるんだ?」
「汝の為であろうが!」
「?」
よく判らない理由で怒鳴られて、九郎は戸惑うだけだ。
「ありがとうございます、助かりました」
キラに引き起こされたラクスが、深々と頭を下げる。
「気にすんなって。こういう時はお互い様だ」
「いえ、結局助けられてしまいました。私達はアル様の言う通り口先だけのようです」
「全くだ」
ラクスが九郎に話しかけるのも不快な様子で、アルが口を挟む。
「アルと何を喧嘩したのか知らねえけど、こいつが余計な事言ったか?」
「九郎!」
「いえ、私が全面的に悪いのです。アル様と大十字様にはどれだけ謝っても足りません」
「俺にも? 何だってんだ?」
「後で説明する」
どこまでも蚊帳の外という顔の九郎に、アルは不安になる。事情を知っても、我が主はちゃんと怒るのだろうか?
そうしている間にシェルターの分厚い扉が開き、バルトフェルトを殿に全員が中へ逃げ込む。
扉より隔壁と言った方が良いものが酷くゆっくりと閉じる間、襲撃を受けるのではないかとイライラしたが、閉じてしまえばこれ以上の安心はない。
「これで一安心、かな?」
バルトフェルトも緊張を解き、普段の妙な余裕のある口調に戻った。
「ああ……ってあんた、腕!」
血が流れていないので気付かなかったが、彼の腕には大きな裂傷があった。
「ん? ああ、義手だよ。知らなかったのか?」
驚く九郎に笑いかけながらバルトフェルトが左手首を掴んで捻ると、腕が抜けて中から銃身が現れた。
「へぇ……戦争で?」
「まあそんな所だ」
バルトフェルトはあくまで気楽に言うが、キラが顔を曇らせるのには気付かなかった。
「しかし何だってここが狙われたんだ? っと!?」
九郎の疑問に誰かが答える前に、振動が伝わってきた。
「狙われたというか狙われてるなまだ。くそっ」
「この振動はビーム兵器? MSまで持ち込むなんて」
「それも一機や二機じゃないな。何が何機いるか分からないが、この調子じゃ此処も長くは保たないぞ」
マリューとバルトフェルトの分析を聞くまでもなく、振動は核にも耐える筈のシェルターをも揺るがす。
子供達は悲鳴を上げ、キラはラクスを庇うように抱く。そのラクスが初めて不安な表情をするのを、アルは冷めた目で見ていた。
「ラクス、鍵は持っているな」
「!」
バルトフェルトの声にも、怯えたような顔を返す。
「扉を開ける。仕方なかろう。それとも、今ここでみんな大人しく死んでやったほうがいいと思うか?」
「いえ! でも……それは」
動揺するラクスが可笑しく、同時に腹立たしかった。
「ほう、躊躇うか。ならば妾の怒りも理解したであろう」
「アル様……」
叱られた子供のような表情のラクスは、視線を九郎の肩の小アルとキラの間を行き来させる。
「ラクス? ……あ!」
それを見たキラは何か思い当たった顔を見せた。
「鍵を貸して。僕が開ける」
「キラ!」
「僕は大丈夫だから。このまま君達のことすら守れず、そんなことになる方がずっと辛い」
なおも躊躇うラクスだが、
「そやつの方が腹が据わっておるではないか。汝も一度事を起こしたなら、覚悟は決めておろう」
「うん。だから鍵を貸して」
キラに促されて手に抱いたハロの口を開け、中から鍵を取り出す。
「なあ、話が見えないんだが」
「こ奴等は自由になる剣を持っているのに、使うのを躊躇っておったのだ。汝は利用したくせにな」
「う〜ん、まだよくわからん」
「すぐに見られる」
キラとバルトフェルトはシェルターの奥の扉両脇のコンソールへ立ち、それぞれ鍵を挿す。
「いくぞ。3,2,1」
タイミングを合わせて同時に捻る様子は、映画で見た核ミサイル発射キーのようだ。
厳重な扉が開くと、奥の空間には巨人の姿があった。
「MS? これは……」
ミネルバのインパルスに似た顔。フェイズ・シフト装甲のグレーの待機色も同じだ。
「フリーダム。この世界最強といわれたMSだ」
アルが九郎に説明する間に、キラは胸のコックピットに潜り込む。
「けどよ、たった一機じゃあ」
「本当に何も知らぬのだな。あ奴はこの世界のMS撃破記録保持者だぞ」
「え? ええ!?」
無口で気弱そうな少年のイメージに合わな過ぎる話に、九郎が大口を開けて驚く。
「意外だろう? あんな顔してて戦場に出ると凄いのなんの」
口を挟むバルトフェルトが無意識に義手を撫でているのが、何となく気になった。
「そう、キラとフリーダムは無敵です」
頼もしげな事を言うラクスだが、その口調は忌々しい事実を述べているようだった。