ザフト軍新造艦ミネルバの初陣は、惨憺たるものだった。
 搭載する筈の新型MS3機を正体不明の敵に奪われ、建造地のアーモリーワンは戦火に包まれた。
 急遽その追撃任務に投入されたが、敵艦の反撃で手酷い被害を受け、配属されたゲイツ・タイプMS2機を失い、奪取されたMS共々敵艦の逃走を許したのだ。
 とはいえろくな準備も訓練もなしに戦闘に突入し、巧妙な待ち伏せを受けてなお生き残った事実は、艦の性能と乗員の能力に疑いを持たせるものではない。
 ミネルバは半舷休息を取りつつ、アーモリーワンへの帰路についていた。

「状況を説明」
 足早に艦橋へ入ってきたタリア・グラディス艦長の声は、昔の恋人との久しぶりの逢瀬を邪魔された苛立ちで僅かに高かった。
「本艦左前方、距離10万の空域で、原因不明の発光現象を感知」
 彼女の下に配属されて間もないメイリン・ホーク管制官は、艦長の微妙な変化に気付かない。
 通常ブリッジの強化ガラス窓の外に広がる宇宙の星々の中に、明らかに異常な輝きを放つ光点が混じっていた。天井の大型スクリーンに拡大投影されたそれは、細長い亀裂のように見える。
 虚空を裂いた亀裂の奥から、虹色の光が漏れ出していた。
「何なんだ、あれは」
 いつの間にか艦長席の横に立っていた”昔の恋人”ギルバート・デュランダルが、タリアの声を代弁する。
 見た印象そのままを口にするのを、タリアは躊躇った。何も無い空間に亀裂が発生するなど、彼女の知る常識……この世界の科学知識では説明が付かないのだ。
 まさにそれは怪異であった。
「現象はレーダーに感なし。電波、紫外線、赤外線その他を発生していますが、周波数に規則性は認められません」
 メイリンの追加報告は、状況説明の助けにならない。
「正体不明の怪現象、という訳ね。調査が必要と思われますが、いかがなさいます、議長?」
 この船の艦長はタリアだが、制度上ザフト軍はプラント最高評議会の直接指揮下に置かれており、デュランダルは評議会議長を務めている。予定外の行動を取るなら一応は聞いておくべきだろう。
「実に興味をそそられる現象だが、何分正体が全く不明だ。安全には留意してくれ」
 科学者あがりらしい好奇心と慎重さの混じった答えは、タリアの予想通りだった。
「了解しました。総員第一配備発令。針路変更、微速前進。現象の距離2万まで接近せよ」
 タリアの命令で艦内全ての乗組員はそれぞれの部署へ向かい、操舵手がミネルバをゆっくりと怪異へ近づける。
「レーダーに感、現象内にアンノウン出現!」
 それから2分と経たずに、メイリンの報告が響く。
「総員戦闘配備! 方位20へ転進、現象との距離を保て。トリスタン起動、ディスパール装填。以後の管制は戦闘ブリッジへ移行」
 反射的にタリアが次々と命令を下し、ブリッジの床が乗員ごと降りていく。
「アンノウンの出現方位は?」
 薄暗い戦闘ブリッジへ移動が完了すると同時に、タリアはアンノウン=正体不明物体の正体ではなく出現場所を聞く。
「不明です。現象の中に突然現れました」
 報告の間にもモニターに映る”現象”の中から、正体不明物体が出てくるのが見える。
「モビル・スーツ?」
 人間を模したその姿を見て、タリアはこの世界で使われている人型兵器の呼称を口にする。だがその形状は、彼女の知るいかなるMSとも全く違う系統に属していた。
 複雑な装甲の組み合わされた本体は古代の城塞を思わせ、背中からは航空MSディンの6枚翼を遥かに複雑にしたようなものがマントのように伸びていた。
 鋼と思われる何かで出来た巨人は、四肢から完全に力を抜き、死体のように虚空を漂っている。
「まさか……あれは」
「アンノウンの推定全長は50m!」
 デュランダルの呟きを、メイリンが驚愕の混じった声がかき消す。その数値は標準的なMSの倍以上のサイズだ。
「全MS緊急発進! インパルスはブラスト装備で。命令あるまで発砲は厳禁。メイリン、アンノウンに呼びかけて」
「了解。こちらザフト艦ミネルバ……」
「通信の繋がる相手ですかな。いやそもそも言葉の通じる相手でしょうか?」
「判りません。が……議長はあれが何か心当たりがおありで?」
 先程の呟きを耳にしていたタリアが、疑問を口にする。
「いや、予感ともいえない、とても口に出来るものじゃないよ」
 デュランダルとの付き合いが長いタリアは、不明瞭な口調に何か期待のようなものが込められているのを見抜いた。
「通信、繋がりました」
 更なる追求を、メイリンの報告が遮る。
「意外とすんなり通じたわね。回線をこちらに回して。画像はサブモニターへ」
 モニターにノイズしか映らないのを不気味に思いながら、タリアは艦長席の通信機を取る。
「こちらはザフト艦ミネルバ艦長のタリア・グラディスです。そちらの所属と名称を教えてください」
 返答が返ってくるまで、重苦しい沈黙が流れる。
『こちら”デモンベイン”の大十字九郎』
 モニターに映像が入らないまま、男の声がノイズ混じりに聞こえてきた。艦橋にいる全員が緊張を高める中、続けてその声は言う。
『すみません、トイレ貸してください』
 ……生暖かい何かが、艦内を通り過ぎた気がした。
『このうつけ! 正体もわからぬ相手にいきなりそのような事を頼む奴がおるか!』
 通信の向こうで別の誰か、おそらく若い女性が叫ぶ。
『だぁ〜! こっちはもう限界なんだ! 相手が誰だろうと知った事か!』
『向こうは人かどうかすらわからんのだ。それにあの船はあきらかに軍艦ではないか。もう少し汝は警戒心というものをだな』
『ヤバいんだよマズいんだよキテるんだよ! それとも何か? ここでアレをナニして良いのか?』
『う……それは……』
『良いんだな? 昨日喰ったサラダに入ってたとうもろこしの混じったアレをここでナニして良いんだな?』
『それは……困る』
『この際相手が人だろうが邪神だろうがビヤーキーだろうがティンダロスの猟犬だろうが構うか! この危機を救ってくれるならっ、ぐ……やばいキタキタキタ-ーーー!!』
『くっ九郎? 耐えろ、耐えるのだ!』
 通信機から伝わる何だかアレな言い合いが、戦闘配備中のブリッジにあるべき空気をぶち壊していく。
「あ〜……とにかく緊急事態のようですね」
『そうなんですぅ!』
 タリアが乾いた声で呼びかけると、哀れみを誘う返事がきた。
「要請はこちらで検討します。しばらくお待ち下さい」
『ちょっ! こっちはもう時間が……』
「メイリン、回線は繋いだままに。少しでも情報を聞き出して」
「えっ? りょっ了解」
 悲痛な叫びを最後まで聞かず、通信をメイリンへ回すというか押し付ける。
「どう思います?」
 予想外の事態の連続に脳が麻痺しかけているのを自覚しながら、タリアはデュランダルと副長のアーサー・トラインに意見を求める。
「トイレくらい貸してやれば良いんじゃないですか?」
「そんな訳にいかないでしょう」
 アーサーの呑気な提案には、ため息が出る。
「いや、それも悪くないかもしれん」
「ギル?」
 だがデュランダルの提案には、思わず昔の愛称が出た。
「どのみちプラント近くであのような不明機を放置する訳には行かないんだ。向こうがこちらに乗りたがっているなら、拿捕の手間が省ける」
「あれの乗員が通信に出た2名だけならそれで済みますが、残りが居ない保障はありません」
「あの機体に乗る彼があの……アレをするのを、もう一人の乗員は非常に恐れていた。という事は彼女は同じ場所、おそらくコックピットに居て、逃げ場がないのだろう。二人だけか、最低でもコックピット以外の乗員スペースが無い可能性は非常に高いと思うが」
 プラント最高評議会議長の理路整然とした言葉は、思考をクリアにするのに十分な力がある。
「なるほど……それに多数の乗員が乗る機体なら、トイレくらいの設備はあるでしょうね。彼の言葉が真実ならですが」
「こちらを騙すつもりなら、私ならもう少し良い嘘を付くがね」
「同感です。メイリン、何かわかった?」
「あ、はい艦長。アンノウンの名称はデモンベイン。乗員は大十字九郎とアル・アジフの二名。駆動エネルギーが切れて漂流中にトイレに行きたくなり、残ったエネルギーで、その……空間転移を行い、ここに出現した……と言っています」
 一部突飛な内容を上官に伝えるのを躊躇っているが、その他はほぼデュランダルの推測通りだった。
 こうしている間にもデモンベインとやらの出てきた”亀裂”は小さくなり、一同の見ている前で完全に消滅した。
 理解の及ばない技術を持つ相手に改めて恐れが湧いたが、かといって放置も出来ないし、攻撃も論外だ。
「わかったわ。要請を受理すると伝えて」
 そして新鋭戦艦が通りすがりの兄ちゃんにトイレを貸すという決定が、今ここに下った。

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