ミネルバの戦闘ブリッジにいるカガリ・ユラ・アスハは、その場では何の役にも立たない余所者だった。
彼女の護衛にして想い人のアスラン・ザラはMS搭乗を志願して戦闘に参加しているが、彼女自身は何も出来ずただ成り行きを見守るしかない。
「くそっ」
やり場のない想いが、口から漏れる。
憎かった―――やっと掴んだ平和を壊す者が。多くの罪のない者を傷付けようとする者が。
そして何よりも、自分の無力さが憎かった。
「―――憎悪の空より来たりて―――」
「……え?」
不意に意味不明の言葉が、唄のように響く。
「なんだ?」
「大十字さん?」
自分だけが聞いた空耳でない事は、クルー達に一瞬走った動揺が証明している。
だがその声は、彼女に最もはっきりと聞こえた。
ザフト軍最新鋭MSのインパルスを駆るシン・アスカの赤い瞳は、怒りで燃えていた。
敵は強奪されたMS3機を除けば、旧型のジンの延齢改良型で、彼の機体との性能差は大きい。それでも思うように戦果を挙げられない理由は明白、敵パイロットが歴戦を潜り抜けたベテランだから。
つまり彼らは2年前に散々戦ったというのに、再び戦いを巻き起こすつもりなのだ。
それもシンの失われた家族のような、罪もない多くの犠牲を生贄に。
「まだ殺し足りないのか、あんた達は!」
聞こえないと判っていても、怒りが絶叫となって出る。
「―――正しき怒りを胸に―――」
「何?」
後に続くように、耳慣れない声が聞こえる。
通信機の音声とは違う、耳元で発したようにクリアな声だった。
ザフト軍ジュール隊指揮官のイザーク・ジュールは罪人である。
2年前に参加した、後に『低軌道会戦』と呼称された戦闘。その終盤に彼の撃墜したシャトルが、停戦後の調査で非戦闘員の避難民を乗せていたと判明したのだ。
これが公的に罪に問われる事はない。逃走する敵を撃つのが当時の上官のラウ・ル・クルーゼの命令であり、そのシャトルが民間人を乗せていると戦闘中に判別するのは不可能だったから。
だが彼は自らの中で己を裁き、判決を下した。
たとえ軍の命令だろうと無力な者を二度と手にかけない。力なき者を護る者であろうと。
だから今の彼は、誰よりも戦意が高かった。
「貴様らの好きにさせるか!」
決意を叫びながら、スラッシュ装備ザクファントムの戦斧で敵機を両断する。
「―――我等は魔を断つ剣を取る―――」
「ああ?」
その瞬間、意味不明の言葉がやけにはっきりと聞こえた。
マギウススタイルでミネルバ艦外に出た九郎が、召喚の呪文を唱える。
振るう腕からこぼれる光が魔法陣を描き、音を伝えない真空に声が響く。
「汝、無垢なる刃、デモンベイン!」
最後の詠唱と共に魔法陣から光が溢れ、巨大な影が姿を現す。
MSの倍を優に越す巨体。白銀の鎧で覆われた鋼の巨人。
魔を断つ刃、デモンベイン。
次の瞬間九郎の身体は光の粒子となってデモンベインの胸部へ飛び、アルと共にコックピット内で実体化する。
「やはり残存魔力は回復しておらぬ。無理な転移で不具合も蓄積しておるぞ」
即座に計器を確認したアルが、機体のダメージをチェックする。
「なぁに、無茶はいつものことだろうが」
「全く汝といると、それが日常ではないか」
「さて、毎度毎度悪いが、ちょっとだけ踏ん張ってくれ、デモンベイン!」
「右舷至近距離で発光現象……デモンベイン出現!」
「何ですって?」
加速していく戦況の悪化に追われていたタリアに、メイリンの報告が追い討ちをかけた。
モニターのひとつがその姿を捉えるが、距離があまりに近いためにデモンベインの頭部しか映らない。
大写しになった顔面のカメラアイが、先程までと違い意思を持った瞳のように輝いている。
―――本当に意思を持っているのか?
「デモンベイン、大十字さん。これは何のつもりですか?」
タリアは自ら通信機で呼びかけた。
『どうもこうもねぇ。アレをどうにかしないと地上がヤバいんだろ?』
「それはそうですが……可能なのですか?」
『どうにかしてみせるさ』
『完全破壊は無理だが、多少は細かく砕いてみせよう』
タリアは脳裏で様々な規則や問題点を検討するが、それら全て捨てて現状の打開を優先することにした。
「判りました、ミネルバ艦長としてユニウスセブン破砕作業への協力を要請します」
『応よ、任せろ!』
『引き受けた!』
タリアが言い終わる前にデモンベインは背中の翼から光を発して、巨体に似合わず矢の様に加速した。
こちらが何を言おうと、何をするか変える気はなかったのだ。
「全ザフト軍機に伝達、デモンベインは友軍であると」
「了解。ミネルバ及びジュール隊へ、現在出現した機体は友軍である。繰り返す、出現した所属不明機は……」
メイリンの声を聞きながら、タリアはあっという間に小さくなったデモンベインの後ろ姿を見つめる。
あれは本当に友軍なのか、本当にユニウスセブンを破砕できるのか、彼らを信じた判断は正しかったのか。
自問しながらも何故か彼らを疑う気になれないのは、願望ゆえだけではないと思いたかった。
ユニウスセブンに接近した途端に、多数のジンハイマニューバが襲い掛かってきた。
デモンベインはMSを遥かに上回る巨体であり、更に頭部からは翠の光を放つ鬣をなびかせているのだ。
おまけにミネルバからメイリンが全周波数でその存在を宣伝すれば、注目を集めない訳がない。
「来たぞ、九郎!」
「ああ判ってる。何か術は使えないか?」
「ちょっと待て、今残存魔力の計算をしておる」
そうしてる間にジンのビームカービンが火を噴き、ビームの火線が振りそそぐ。
少ない魔力でエルダーサインの結界を使う訳にはいかない。九郎はデモンベインの巨体を器用に操って避け、頭部の機関砲で応戦するが、向こうもひらひらとかわす。
「ええいちょこまかと!」
「計算終了。アレに使う魔力を残すなら、簡単な術を一度使うのが限界だ」
「一発だけか、なら!」
なおも接近するジンの群れに進路を向け、交錯する瞬間―――
「アトラック・ナチャ!」
術の発動と共にデモンベインの鬣が蜘蛛の巣のように広がり、3機のジンを捕らえた。
「うおりゃぁ!」
MSの絡まった鬣の根元を投網のように掴み、赤いMSの目の前に放り出す。
MSを見慣れていない九郎だが、ミネルバで見たその機体の色は間違える筈が無い。
『デモンベインは味方です、各機はデモンベインと協力し……』
「そんなに繰り返さなくても判ったわよ」
通信機から聞こえる妹の声に、ルナマリア・ホークは呟く。
そのデモンベインとやらは怪しげな装備で敵のジンを捕らえると、彼女のザクウォーリアの前、それもガナー装備のオルトロスの砲口の前へ放り投げたのだ。
彼女がトドメを刺すのを期待しているのは明らかだが、目を瞑っても当たるような位置に投げ出すのは、サービス過剰のようにも感じられる。
だから絡まったジンを慎重に狙い、3機の急所が重なる一点を正確に撃ち抜いてやった。
MS3機分の爆光には目もくれず、スラスターを全開にしてデモンベインを追跡する。
「援護してやろうじゃないの、お化けさん」
謎だらけの機体をそう呼んで、近付く敵機にオルトロスを発砲した。
「何か知らんが、大物じゃねえか」
連合のエクステンデット―――強化兵のアウル・ニーダは、デモンベインに気付くと同時に乗機のアビスをそちらに向かわせた。
彼にとって敵機であるジンを撃墜したのは不可解だが、同じく敵機のザクウォーリアと連携しているのを見て、見慣れない巨大な機体も敵性の機体だと判断したのだ。
強化された反応速度で赤いザクからの砲撃を交わし、デモンベインへ狙いを定めながらアビス特有の羽根を広げたような砲撃体勢を取り―――不意に飛んできた横からの攻撃をも避けたのは、さすが強化兵というべきか。
「ああ? 邪魔すんじゃねぇ!」
悪態を吐きながら展開したシールドに並んだ砲門を邪魔者である白い新型―――インパルスへ向けるが、赤いザクからの砲撃を避けながらなので狙いが甘く、直撃を与えられない。
「アウル、迂闊だぞ!」
同じくエクステンデッドのスティング・オークレーは、窮地に陥った仲間を見てカオスを突進させた。
強化兵にありがちな連携能力の欠如は、彼らには見られない。
カオスの高速性能で一気に間合いを詰め、狙い易いと見た赤いザクへ機動兵装ポッドを射出する―――が、その隙をついて白いザクファントムが襲い掛かってきた。
「何ぃ?」
放たれたビームを何とかシールドで受け、兵装ポッドの目標をザクファントムへ変更するが、そいつは目がいくつも付いているかのようにオールレンジ攻撃を易々と避ける。
「何だってんだ、こいつ?」
「アウル! スティング!」
ステラ・ルーシェが仲間の元へガイアを加速させた瞬間、目の前に緑のザクウオーリアが立ちはだかった。
「邪魔するな!」
速度を保ったまま四足形態に変形して、両翼のグリフォンビームブレイドで斬りかかるが、シールドで防がれ逆にビームアックスが迫る。前足で相手を蹴って何とか間合いを取るが、速力は殺されてしまった。
「こいつ、何度も何度も!」
そのザクウォーリアは何の変哲もない量産機だが、ステラは気付いていた。
目の前の敵がアーモリーワンで立ちはだかった相手だという事も、そのパイロットが恐ろしいまでの手練れだという事も。
『行け、デモンベイン!』
アビスと巴戦を行いながら通信で叫ぶのがシンだと、九郎は知らない。
『こいつらは我々に任せろ』
カオスの攻撃を避けながら言うレイが誰なのか、九郎は知らない
『ユニウスセブンを頼む!』
ガイアと格闘しながらアスランが託すものが何か、九郎は知らない。
『何だか知らんが、行けデカブツ!』
再び襲ってきたジンハイマニューバを両断して叫ぶイザークという男を、九郎は知らない。
『一発決めてくれよ、でかいの』
ディアッカのザクウォーリアに至っては距離があり、オルトロスの火線しか見えない。
そしてもちろん彼らも、デモンベインに乗るのが何者なのか知らない。
『援護は任せて。行きましょう、デモンベイン』
「ああ、頼む。ええと……」
『ザフト軍のルナマリア・ホークです』
「ホーク? っていうと」
『はい、メイリン・ホークは私の妹です』
「そうか。俺は大十字九郎だ。よろしくな、ルナマリア」
随伴してくれる赤いザクウォーリアと通信を交わしても、プロトコルの違いで映像が入らず、ルナマリアの顔を九郎は知らない。
彼らは任務に忠実なだけであり、会ったことも無い九郎たちに好意や信頼を持っている訳ではない。
従軍経験のない九郎にもそれは判る。
だがそれでも―――
「何を緩んでおる。状況が判っておるのか」
「ああ、すまねえ」
この戦いに億単位の人命がかかっていると判っていても、沸き立つ心を抑えられなかった。
別に仲間と共に戦うのが初めてな訳ではない。ウィンフィールドは誰より信頼できる戦友だし、アル不在時にはエルザと共に戦った。その他にも多くの者の支援を受けて、九郎は戦ってきた。
それでも見ず知らずの戦士に背中を預けるのが、叫びたいほど嬉しいのだ。
「それよりシャンタクの推力を落とせ。魔力を無駄に使っては……何だ? 残存魔力が僅かだが上昇しておる」
ああ、そうか―――不意に九郎は、不謹慎な自分の感情の正体に気付いた。
デモンベインに乗っている時は、誰かと共に戦った事がなかったのだ。
「お前も嬉しいんだな、デモンベイン」
メタトロンに僅かに援護を受けた以外は、戦っているデモンベインの仲間は搭乗者しかいなかった。
三位一体の一片である愛機に、他者と共に戦う喜びを教えてやるのが嬉しかったのだ。