ユニウスセブン―――それが何なのか、九郎は漠然としか理解していなかった。
西暦20世紀前半の人間である彼の知識を超えた存在であり、ここに来て会った者にとっては常識であり過ぎてまともな説明をしなかったので、無理はない。
だが実物を目の前にして、ようやくその正体に気付いた。
「これは……街なのか?」
かつて街だったものを含めた、大地の断片の死骸。それがユニウスセブンだった。
「宇宙都市、恐らく戦争で破壊されたものか。この規模ならば数万は住んでいただろうに……惨い事をする」
この大地には対となる大地があり、住人―――犠牲者は更に倍になるのだが、それはアルの理解の範疇を超えていた。
「同じ人間相手に、何て事しやがる」
「同じではないのであろう。これをした者にとっては」
「そうだったな……くそっ」
彼らと地球に住む者の一部はそうは思っていない―――デュランダルの語った意味が、理解できたような気がした。
人は例え同じ人間相手でもどこまでも残虐になれるのだが、彼らの世界では核で島国の都市二つが焼かれることはなかったので、九郎は気付いていない。
「―――いやだ―――」
「何?」
更に接近すると、囁きのようなものが聞こえた。
「―――お母さん―――」
「―――やめろ、やめろ―――」
「―――ばかな、こんな馬鹿な―――」
無数の囁きが渦を巻き、九郎を通り過ぎる。
これには覚えがあった。かつて戦ったティベリウスに囚われていた、怨霊達の叫びに似ていた。
それよりはずっと緩やかであり、苦痛を訴える以外の声も多々あるが、数だけなら遥かに上回っていた。
「―――止めてください―――」
大半が意味を成さない声の中で、妙に明確な女の声が、何かを繰り返し訴えている。
「あまり死者の声に耳を傾けるな。引き摺られるぞ」
「ああ、判った……ルナ!」
九郎の直感の鋭さは、かつての敵である大魔道士の折り紙つきだ。
だが彼は仲間と戦った経験が少なく、またウィンフィールドとエルザの技量は九郎を上回っており、仲間に気を配る戦闘に慣れていなかった。
不意に襲った2条の火線が、ルナマリアのザクを貫く。
それでも九郎の叫びで反射的に機体を翻したのが、ルナマリアの命を救った。彼女の機体は胴体への直撃を免れたが、オルトロスの砲身と右の手足を砕かれ、戦闘能力を失った。
「ルナマリアっ……くっ!」
間髪を入れず数発のビームがデモンベインを襲うが、紙一重で避けて射撃地点のビルの残骸へ機関砲を撃ち込む。
ビルが砕ける直前、いや砲弾が着弾する前にその影からMSが飛び出した。
ジンハイマニューバ2型―――ユニウスセブンを動かした者達の使用するMS。
「待ち伏せか。ルナマリア、無事か?」
『何とか……ですが援護はもう無理です。申し訳ありません』
「後は何とかする!」
ルナマリアの無事に安堵する間もなく、飛んできたビームカービンの火線を避ける。
「機銃の残弾が少ない。シャンタクの出力も絞らんと魔力が尽きるぞ!」
「わぁってる、くそ!」
待ち構えていたジンは敵機の中でも更に手錬れのようだ。推力をケチった巨体では正確な射撃を避け切れず、何発かがデモンベインの装甲を傷付ける。
『おのれ化け物、我らが悲願を邪魔するか!』
偶然か意図的か、ジンのパイロットのものらしい罵りが通信機から聞こえた。
「何が悲願だ! 大虐殺かますのなんざ見過ごせるか、このキ〇〇イ野郎!」
当然というか、九郎は即座に罵り返す。
『化け物のパイロットか? なぜ気付かぬか、我らコーディネーターにとってパトリック・ザラのとった道こそが唯一正しきものと!』
「こちとらこの世界に来て間がないんだ! てめぇの都合なんざまとめて丸めて便所へポイだ!」
『無知な愚者が! 我が娘はここでナチュラル共に殺されたのだ!』
「ああ?」
九郎の人間らしい面が僅かに動揺し、その隙を突いて斬機刀を抜いたジンが迫る。
空間戦闘の高速交差が斬機刀に力を与え、ヒヒイロカネの鋼板をも深く割った。
「敵の言葉に惑わされるな、九郎!」
「判ってる! だが……」
敵の言葉、この状況。心に何かが引っかかる。
「―――父を止めてください―――」
あの悲しげな亡者の声が、再び聞こえ―――
『我が娘のこの墓標!落として焼かねば世界は変わらぬ!』
なおも叫ぶ敵パイロット。
そして死者達の声で最も多かったもの―――何かを制止しようとする想い。
九郎の中でいくつかの点が繋がり、意識が白濁する。
それは脳を埋め尽くす、閃光のような怒りだった。
「ふざけるんじゃねえ!」
それまで以上の怒声で九郎は叫び、デモンベインの拳を振るう。
再び斬りかかろうとしていたジンはシールドで受けるが、腕からもぎ取られて弾け飛ぶ。
「あんたの娘が……犠牲者達がこんな事を望んでいると思ってるのか?」
『何も知らぬ小僧が利いた風な事を!』
叫びながらジンは体勢を立て直し、ビームカービンを連射する。
「泣いてるんだよ今ここで! 瞳も身体も失ったのに、あんたの為に泣いてるんだよ!」
激情と推力不足で回避できないデモンベインは、腕で頭部のセンサーを庇いながら突進する。
『世迷い言を!』
「何で聞いてやらねぇんだ、馬鹿親父!」
互いの言葉がすれ違うように、デモンベインの伸ばした腕をジンが避ける。
「頭を冷やせ九郎! 判る筈があるまい、あの者に死者の声は聞こえぬのだ」
「けどよ……」
「それに聞こえたとしても、憎悪に囚われたあの者に伝わるかどうか」
反論に詰まった九郎を、直撃の振動が揺らす。
「あの銃の威力はさほどでもないが、今のデモンベインではいつまでも耐えられん。このままでは削り殺されるぞ」
「覚悟を決めろ、というのか?」
「そんなものは出撃前に決めた筈であろう。今は死者達の眠りを安らかにしてやれ」
アルの言葉に、九郎は一瞬瞑目し―――
「済まない、娘さん。あんたの親父を止めるには……」
明確な声は返ってこなかった。
ただ深い悲哀と、諦めの思念だけが通り抜けた。
『我らのこの想い、今度こそナチュラル共に!』
デモンベインの動きが鈍ったのを好機と見たか、ジンがビームカービンと斬機刀を振りかざして接近する。
「やるぞ九郎! ヒラニプラシステム、無限アクセス確認!」
「くっ……うおおおおおおお!」
九郎が魂の叫びを上げ、デモンベインの腕が五紡星の魔法陣を描く。
「光指す世界に、汝ら暗黒棲まう場所無し!」
印を切った右掌に一撃必滅の源が宿り、凶暴な術式が解き放たれるのを待ち切れずに荒れ狂う。
「渇かず、飢えず、無に還れ!」
そして―――突進!
シャンタクではなく固定スラスターの噴射、それでも通常を遥かに超える爆発的な推力が、デモンベインを
巨大な砲弾と化す。
『何だと……ぐあ!』
暴虐の突風はジンを巻き込むが、真の目標はその先、ユニウスセブンの大地だ。
そのままデモンベインは地面に体当たりし、めり込んだジンに右掌を叩きつけた。
「レムリア・インパクト!」
言霊とともに撃ち出された術式はジンを貫通し、偽りの大地の中心へと走る。
金属の軋む音。大地の軋む音。空間の軋む音。
術式が送り込まれる間、ジンとデモンベインのコックピットに金切り音が響く。
「おのれ、おのれ、おのれ!」
ジンのパイロットのサトーは、モニターを埋め尽くすデモンベインの顔に罵りを吐き続けていた。
「おのれ化け物め! あと一歩でコーディネーターの安寧を掴めたものを! あと一歩で我が娘の仇を討てたものを! あと一歩でナチュラル共を皆殺しにできたものを!」
深い憎悪が彼の心を、そして魂をも埋め尽くす。
だがその時―――
「―――お父さん―――」
懐かしい声が、彼の耳にはっきりと聞こえた。
「……ああ?」
その瞬間―――ほんの一瞬だが、サトーの心から怒りも悲しみも消える。
その瞬間―――無限熱量の残滓が彼の身体を蒸発させ、機体を溶解させる瞬間だけ―――
彼の心は穏やかだった。
それがどれだけ幸運な事か、彼が気付く事はなかった。
全ての術式を送り込み終えたデモンベインが地面を蹴り、虚空に舞い上がった。
「昇華!」
アルの最後の言霊で無限熱量が開放される。
ユニウスセブンの中核で顕現したそれは、周囲の土と構造物を侵略し、蹂躙し、陵辱し―――
地面を割り、爆光を伴って虚空へ飛び出す!
そして箱庭の大地は砕け散った。
「なっ……!」
その瞬間はユニウスセブンに背を向けていたシンは、突然の光の渦に振り返り、飛来する破片の向こうに広がる光景に一瞬我を忘れた。
圧倒的だった巨大質量が、クッキーを金槌でぶっ叩いたように粉砕されていた。
「核? いや、あれがデモンベインの力なのか?」
交戦中に我を忘れて無事だったのは、彼の敵も味方も同様だったからだ。
「何だ?」
「砕けたよ……」
飽くなき闘争心を植え付けられたファントムペインのエクステンド達も、例外ではなかった。
それでも混乱と破片が戦場を埋め尽くす中で、後退命令の発光信号を見落とさなかったのは流石であろう。
ただステラは、発光信号の光に子供のように見惚れていた。
今日のそれは氷や金属の破片が光を反射して、ひときわ美しかった。
ユニウスセブンが砕ける様子は、ミネルバのメインモニターにも映されていた。
あれほど待ち望んだ光景にも、歓声は上がらない。
とはいえ異界の巨人がもたらした威力への恐怖も、この場を満たしていない。
ただ想像を超えた光景に、見る者全ての心が凍り付いているのだ。
「鬼械神―――デウス・マキナの語源が何か判るかな?」
艦長席の隣に座るデュランダルが、タリアに語りかけた。
「ええ……よく判るわ」
呆然とモニターを見つめたまま、タリアは答える。
「デウス・エクス・マキナ。収集がつかなくなった物語を叩き壊す、機械仕掛けの神よ」
彼女の視線の先では、叩き壊されたユニウスセブンがゆっくりと四散していた。
機神咆吼デモンベインDESTINY
第1話「鬼械神降臨」 完