モルゲンレーテ造船ドックの片隅にデモンベインは居た。
 共に地球へ降下したミネルバの甲板に乗ってここへ来て、ミネルバと戦友達の出港後もこの場に残ったのだ。
 大型艦を建造、修理する巨大空間にあっては鬼械神の巨体も小さく見えるが、他の施設、殊にMS用の製造、整備施設では収まらない為に、この場がデモンベインの仮住まいとなっていた。
 組まれた足場に囲まれ、作業員が這い回る様子は、直立しているとはいえ小人に囚われたガリバーを思わせる。
「正直言ってお手上げですね」
 マリア・ベルネス。そう名乗る女が、書類を片手に言う。
 よくマリューとかラミアスとか呼ばれているが、公的な場では一応そう名乗っている。
「異界から無限にエネルギーを供給する獅子の心臓。それを封印し稼動させる銀鍵守護神機関。理論すらもさっぱりなのに、ましてや修理となると」
「う〜ん……やっぱりか」
 マリアだかマリューだかの説明に、九郎は苦い呻きを漏らした。
「あれは妾にも未知の部分が多い。簡単に事が運ぶとは思っておらぬが、出来る限りの協力はしよう」
「はい。とりあえず今までの検査のレポートのコピーは用意しています」
 分厚い冊子を受け取ったアルは、素早くパラパラとめくる。
「やはりあまり進展はしておらぬな」
「ええ、申し訳ありません」
「って今ので読んだのかよ?」
「当然だ。妾は魔道書、情報の化身だぞ」
 九朗に答えてから、アルは思案して、
「やはり分解して、構造を詳細に解析せね話にばならぬか」
「またその話か。再起動の目途がつくまで獅子の心臓の停止は無しだって結論だろ」
「そうだがな……」
 こうしている間にも、デモンベインの心臓部は弱々しく鼓動し、僅かずつだが魔力を蓄えている。
 獅子の心臓からの無限熱量を目標に叩き込む「レムリア・インパクト」は問題なく作動し、この世界の危機を救ったのだ。
中枢部が今も健在な証拠だが、それだけに扱いは慎重にならざるをえない。
「厄介なものですね」
「すまねえな、マリュー……いやマリアさん」
「いえ、お二人とあの機体には手間をかけるだけの恩も価値もあります。その他の破損部分の修理はほぼ完了。魔力回路の解析も順調です」
 この世界では未知の技術である魔術回路。この技術提供がデモンベインの修理、施設使用、九郎とアルの生活費の代金である。
 ユニウスセブンでの戦闘をこの国の代表首長が観戦して、いたく感激したのがこの厚遇の始まりだが、それだけで諸々の費用を捻出できる訳ではない。
「新型射撃システムの組み込みも完了。明日には予定通り試射を行えます」
「ああ、期待してるぜ」
 魔術回路を利用した試作品第一号がこの新型射撃システムであり、デモンベインの頭部機関砲がテストベッドとなる。
 愛機を実験に使うのは抵抗があるが、互換性のない弾丸の製造には手間も金もかかり、このような名目がないと補給ができない。
 ユニウスセブンの戦いでジンを全く捉えられなかった経験も、導入決定の動機になっていた。
「では明朝8時から準備を行うので、立会いをお願いします。それと今夜は遅くなるけど、食事は残しておくように伝えて下さい」
 後半の口調は友人か家族に向けるような砕けたものだった。
「了解。ではお先に。ほらいくぞ、アル」
「ああ」
 途中から黙って何やら思案していたアルを連れて、九郎はその場を後にした。
 モルゲンレーテの工場から出た九郎とアルは、夕日で朱に染まった海岸沿いの道路を乗用車で走っていた。
 九郎の以前の生活ぶりを知る者が見れば彼が免許証を持っていた事に驚くだろうが、彼とて生まれた時から無職もとい私立探偵で赤貧洗うが如しだった訳ではなく、両親が健在の頃は普通の中流家庭で育ったのだから、その頃に免許を取得していてもおかしくはない。たぶん。
 勿論西暦20世紀のアメリカの免許がオーブで使える訳はないが、国家主首のコネで海外要人向けの許可証なんたらを貰っている。
「九郎」
「ダメだ」
「何も言っておらぬぞ」
「獅子の心臓の停止、だろ」
「うぬぅ……」
「構造どころか起動方法すらわからないもんを停止して、二度と動かなかったらどうするんだ? ていうか停止方法もはっきりしないんだろ?」
「しかし、このままではデモンベインは不完全なままだ。元の世界に戻る事も出来ぬぞ」
「その元の世界に戻るってのも、かなり難しいんだろ?」
「ダンセイニの召喚時におおよその時空座標は判明しておる。完全とはいかぬともかなり近い世界へ行く事は出来る」
「”おおよそ”で”近い”だろ。俺達の世界じゃないのはここと同じだ。何を焦ってる?」
「汝は何故焦らぬ!」
 アルは声を荒げ、隣の九郎を睨みつける。
「ここはもう戦争寸前ではないか。いやもう戦争は始まっておる。この国が巻き込まれるのも時間の問題だ」
「そりゃぁ不安だけどよ、俺とお前なら何があっても生き延びられるだろ」
「我らだけならどうとでもなる。だが汝は、周囲の者を捨て置けぬであろう」
「ミネルバのみんなは行かせただろう」
 彼らは短いながらも共に戦い過ごした戦友であり、ユニウスセブンへレムリア・インパクトを使った後、魔力が尽きて地球へ落下しつつあったデモンベインを救助してくれた恩人でもある。
 ぎりぎりまでミネルバの陽電子砲で破片へ砲撃するついでとはいえ、大気圏突入中にデモンベインの巨体を拾うのが自殺行為寸前の命懸けであったのは変わりない。
 そんな彼らがオーブの情勢不安定化により急遽出航した時、九郎らは同行しなかった。
 連合の艦隊が接近しているとの情報もあり、不利な状況での戦闘が予想されたが、強大な力を持っていようと民間人である九郎が手出しするのは問題がありすぎるのだ。
「あの者達は兵士であり、戦う力も理由も意思もある。汝もそれくらいは割り切れるであろう。だが力無き者に害が及ぶのを見過ごせる汝ではあるまい」
「手の届く範囲で誰かを救うのは当然だろ」
「デモンベインを有効に使ってか? そうすれば多くの者を救えるだろうが、その為に汝が討つのはブラックロッジのような邪悪ではなく、祖国の為に戦う兵士だぞ。ミネルバの者達のようにな」
「そんなの前の戦いで思い知っているさ」
 ユニウスセブン落下テロの阻止に協力したのは九郎にとって当然過ぎる行為であるが、それを行った者達はかつての敵のような邪悪な魔物ではない只の人間だった。
「あの戦いはあらゆる法や道徳に反した大量殺戮を止める為のものだ。その点では絶対悪との戦いに近い。だが戦争とは愚劣で悲惨ではあるが人の行為だ。我ら魔道に生きる者が関わり合うものではない」
「この世界に来てすぐにも、似たような話をしたな」
「あの時とは状況が違う。今度は本気で汝を止めるぞ」
「このあいだのあれ……核が人に向けられるのを前にしてもか?」
「あれか……」
 未遂に終わったプラントへの核攻撃の閃光は、地上でも夜空を染めるほどだった。
 凍り付いたユニウスセブンを目の当たりにして、またプラントのコロニー群の情報を得た九郎やアルにとって、あの光が目標を直撃するのは現在見たくない光景ナンバー1だ。
「確かにあれほどの規模で無辜の民が焼き払われるのは、妾とて見るに耐えん。デュランダルとやらを頼ってプラントへ行き、その防衛のみに力を貸すというのも汝らしい悪くない選択であろう」
「けどそれって傭兵になるって事だな」
「左様。ザフトの者達はデモンベインの能力を判定して、我らの待遇を決めるであろう。それはMSとかいう機械人形数機分か、数十機分か。だがその分の戦力はプラント防衛から引き抜かれて、他の地を焼くのに使われるぞ」
「んじゃあどうしろってんだ?」
「だからそれも”悪くない選択”だ。この世界に腰を据えるなら、選ぶべき道の一つであろう」
「この世界に生きるなら、か。だからお前、デモンベインを早く直したいのか。この世界から、戦争から逃げ出したくて」
「不快か?」
「まあ何つうか、卑怯っぽい気はするな」
 不安げに聞くアルに九郎はなるべく軽い調子で言うが、傷付いた溜め息が返って来る。
「この世界の戦争は我らと関わりが薄い上に、破壊の規模が大きい。汝が生きたアーカムやアメリカを護る為ならば、妾はいくらでも協力しよう。小国同士の小競り合いのような戦争ならば、民間人のみを護っても大した影響は有るまい。
 だがこれだけの巨大な力のぶつかり合いでは、どこのバランスを崩しても影響は世界全体に及ぶぞ。それこそ邪神の振る舞いであろう。それを平気で成す汝など……妾は見たくない」
 表情を曇らすアルの頭に、九郎が優しく手を乗せる。
「気軽に正義の味方なんてのは出来ないって事か」
「うむ、その点では我らは今まで恵まれていたのかもしれぬな。そう仕組まれていたからだが」
「感謝する義理はねえな」
 人が持つ善性の究極として九郎を仕立てるのが、かつての戦いを仕組んだ邪神の狙いだった。
 だからこそ彼らの敵は人類の邪悪な敵であり、裏を知らなければ戦いに迷う必要もなかった。
 ―――その邪神の振る舞いに近い事をした者が、我らの近くに居るのだが……いや、彼らも自らの世界の成り行きを模索したという点では、今の我らよりましか。
 それを口に出すかアルは迷って、結局止めた。
「何にせよ最後に決断するのは汝で、妾は従うのみだ。汝が汝である限りな」
「そいつはまた、責任重大だな」
 そこで会話は途切れ、アルはただ九郎の肩に頭を乗せた。

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