そこは蒼の世界だった。空と海の蒼が天地を支配し、水平線で溶け合う。まばらな雲の純白が、蒼を更に深く見せる香辛料となっていた。
 全てを埋め尽くす蒼を引き裂くように、赤い翼が飛行していた。ザフト軍最新鋭可変MS、セイバー。MA形態を取ったその姿は、航空機そのものだった。新品のPS装甲が、陽光を眩いまでに反射して煌いている。
 最終テストとパイロットの慣熟飛行を兼ねたプラントからの旅も、あと一歩で終了だった。オーブ領空に入る寸前、コックピットに座るアスラン・ザラは通信回線を開き、オーブの航空管制を呼び出す。
「オーブコントロール。こちら貴国へ接近中のザフト軍モビルスーツ。入港中のザフト艦ミネルバとの合流のため、入国を希望する。許可されたし」
 だが何度呼び掛けても返答はなく、有事のようなレーダー照射を断続的に受けるだけだ。
「何だ?」
 埒があかなくて、他の無線周波数を探る。軍用回線の周波数は知っていた。
『目標は方位502へ向かっている。ドードー1および2は進路を439へ変更せよ』
『コントロールより各機へ。ザフト軍機への対応は別働隊が行う。各機は任務を続行せよ』
『クイナ1よりコントロール。目標を射程に捕えた』
『コントロールよりクイナ1。目標は投降命令を無視した。発砲を許可する』
『クイナ1よりコントロール。指示をもう一度言ってくれ』
 交わされている通信の不穏さに、アスランは顔をしかめた。どうやらオーブの迎撃機は何かを追っていて、撃墜命令まで下りたようだ。ついでに自分への対応に別働隊も上がってくるという。
『コントロールよりクイナ1。目標を撃墜せよ。繰り返す。デモンベインを撃墜せよ』
『クイナ1よりコントロール。了解』
「デモンベインだって!?」
 目標となっているものの名称に、アスランは驚愕の叫びを漏らした。
「ええい撃ちおった! ミサイル4、来るぞ!」
「ちっくしょう!」
 シャンタクの翼で飛ぶデモンベインとはいえ、極超音速で飛ぶミサイルを振り切るほどの速度はない。
 ロケットモーターを噴かして迫る矢を、振り返って頭部機関砲で撃ち落す。蒼い空に爆炎の花を4つ咲かせるのは、シャンタクの運動性能と新型射撃管制なら容易い作業だった。問題は飛行中にそんな運動をした当然の結果として、速度が一気に落ちた事だ。
「ってしまった、結界で防げば良かった」
「そんな魔力はない。敵機更に接近、撃って来るぞ」
 アルの警告が終わるかの内に、ビームの火線が迫った。大した苦もなく避けるが、速度は更に落ちた。
 雲間に見えた2つの芥子粒のような機体が、みるみる大きくなる。オーブの可変MS、ムラサメだ。
「逃げ切れねぇ。やるしかねぇか」
 デモンベインの右手に白銀の回転拳銃イタクァを召喚し、ムラサメへ向かって構えた。
「アレは可変MSだ。翼だけを破壊すれば、人型に変形して不時着出来る筈だ」
「無茶を簡単に言ってくれるな」
「なら撃墜するか?」
「そっちはもっと無茶だ」
 世話になった国の兵士を殺すのは、武器を向けられていても九郎には躊躇われた。
「キラの野郎ならこういうの、簡単にやるんだろうな」
「こうなったのはあ奴等のせいではないか」
「そうだな、くそっ」
 ぼやきながらもムラサメに向かって意識を集中する。極限まで研ぎ澄まされた精神が遥か彼方まで知覚を広げ、2機のムラサメの現在の速度と動きを完全に把握し、予測される回避運動の軌道が脳裏に無数に浮かぶ。
 ―――行け!
 指の感覚でなく必中の意思がトリガーを絞り、巨大な回転拳銃から2発の銃弾が発射される。察知したムラサメが即座に左右に散開するが、その動きは予測軌道の一つをほぼトレースしていた。予定された動きのようにイタクァの銃弾が曲がり、2機のムラサメの片翼をそれぞれ粉砕した。バランスを崩して錐揉み状態に入ったムラサメが慌てた様子でMS形態に変形し、空気抵抗の減速と四肢のスラスターでどうにか着水できる姿勢を取った。
「ふう……」
 一仕事終えた九郎が安堵の吐息を吐くが、
「まだ終わっておらぬ。後方から4機、正面から1機接近。遠くからもまだ来るぞ」
 アルの警告で緊張を取り戻す。
「ええい、相手にしてられるか! ティマイオス、クリティアス!」
 デモンベインの両脚の断鎖術式シールドを作動させ、空間湾曲の反動で一気に加速する―――が、それもほんの一瞬、みるみる速度が落ちる。
「駄目だ、あまり速度を稼げておらぬ」
「何でだよ?」
「断鎖術式に魔力を喰われて、シャンタクの出力が落ちておるのだ。魔力の絶対量が足りぬ」
「この前暴れ過ぎたか?」
 こうしている間にも追っ手は前後から迫り、挟み撃ちになりつつあった。
「こうなりゃ正面の一機だけの奴を落として突破する。領空の外までぶっ飛ばすぞ!」
 貴重な魔力をシャンタクに全力で注ぎ込み、噴射されたプラズマ炎がデモンベインを加速させた。
 やがて正面に単独行動の機体が見え、急速に迫る。それに向かって飛びながら、デモンベインはイタクァの銃口を向けた。
 ―――ムラサメじゃない?
 トリガーに指をかけてから、赤い機影が今までの相手と違うのに気付き、発砲を一瞬迷う。
「通信? ……撃つな九郎!」
「ああっ? くっ!」
 唐突にアルが怒鳴り、気を取られた刹那で超音速の機体同士が急接近した。九郎はデモンベインの進路をずらし衝突を回避するが、向こうも避けたので衝撃波を浴びずに済んだ。
『こちらアスラン・ザラ。デモンベイン、状況の説明を請う』
 赤い機体がこちらを追うように旋回し、アルがスピーカーに回した通信から覚えのある声が聞こえた。
「アスラン? あいつ確かプラントへ行った筈なのに、何だってこんな所にいるんだ?」
 九郎が疑問を口にする間にムラサメの編隊が迫り、ミサイルを放つ。狙われた赤い戦闘機はフレアをばら撒きながら急旋回し、ミサイルを回避した。更にビームが降り注ぐが、アスランは逃げ回るだけで反撃しようとしない。
「あいつ、ここ数日の状況を全然知らないんじゃないか?」
「そのようだな」
 こちらへの通信が途絶えた所をみると、オーブ側へ攻撃を止めるよう呼び掛けているような気がする。
「何にせよ助けにはなるだろ。アスラン、聞こえるか?」
『九郎か? 一体どうなってるんだ?』
「説明は後だ。ここはとにかくこいつらを追い払って逃げるぞ」
『わかった』
 返答と同時に赤い戦闘機が加速し、追うムラサメを振り切る―――かと見えた瞬間にMS形態に変形し、ビームサーベルを抜きつつ一気に間合いを詰めてムラサメの翼を切り裂いた。
「アレもMSになった?」
「この世界では変形が流行っておるのか?」
 言いながらもデモンベインは旋回し、迫るムラサメの編隊にイタクァを撃つ。思念でコントロールされた銃弾が2機の翼を砕き、最後の1機も怯んだ隙にアスランが同様に撃ち落した。
「やるなあいつも。これで全部か?」
「まだ2機が接近中……いや、こっちに来ないようだ」
 先発隊を一瞬で退けた2機に追跡を断念したか、後続機は着水した仲間の救護に回った。
「よし。アスラン、カーペンタリアのザフト基地に行くぞ。そこにミネルバもいる筈だ」
『了解した。こちらが先導する。事情の説明はしてくれるか?』
「ああ、時間はたっぷりあるだろうしな」
 デモンベインと赤いMS―――セイバーは編隊を組み、オーブ領空外へ進路を向けた。
 カーペンタリア基地の門を、シンはルナマリアとメイリンの姉妹の後に続いて通り、港に停泊したミネルバへ向かい歩いていた。貴重な休暇を親しい仲間達と過ごす予定だったが、ヨウランとヴィーノは急な任務が入り、レイはいつもの付き合いの悪さで断ったので、3人だけで外出した帰りだった。女の子二人を独占というのも悪くないと思ったが、両手に花の代わりに邪な考えの後悔を一杯に抱えていた。
「あ、何あれ?」
 ルナマリアの声で俯いた顔を上げると、見慣れない赤い機体がミネルバへ向かって降りていった。
「新型かな? そんな話は聞いていないけど」
 言いながら別の飛行音に目を向けると、そちらは見覚えのある、だが異様な機体が雲間から現れていた。
「デモンベイン?」
 ディン2機にエスコートされて、それを遥かに上回る巨体が空港へ向かって降下しつつあった。複雑な翼を広げたデモンベインとディンの差は大人と子供以上、大鷲と鳩ほどもあり、一斉に空を見上げた周囲の者達からどよめきが広がる。
「何でここに?」
「やっぱりオーブを追い出されたんだ」
「ああ、こうなると思ったよ」
 メイリンは疑問の声を上げるが、ある程度は予想していたシンとルナマリアに驚きは少ない。
 見ている間に滑走路に着陸したデモンベインが近くまで歩いてくるのを見て、一向は戦友を迎えにいった。
 数十mの高さにあるデモンベインのコックピットからマギウスウイングで飛び出すと、集まった野次馬から驚きの声が上がった。降下しながらそちらを見ると、見覚えのある女性がこちらに向かって手を振っていた。
「ルナマリア? シンとメイリンもか」
 九郎も手を上げて合図を返し、彼女らの目の前に降りた。
「はぁい、九郎、アルちゃん。お久しぶり」
 ルナマリアの口調は相変わらず馴れ馴れしいが、彼女なりの親愛の表現だろう。
「久しぶりってほどでもないけど、こんなにすぐまた会えるとは思わなかったよ」
 姉妹に荷物持ちをやらされているらしく、シンは両手に巨大な買い物袋を抱えていた。
「こんにちは、アルちゃん」
 メイリンは九郎を半ば無視して、ちびアルに妙に熱い視線を向ける。より具体的に言えば、隙あらば抱き締めて撫でくり回してやろうと思っていそうな目だ。
「う、うむ。また厄介になるやもしれぬが、よろしく頼む」
 気圧されたアルがマギウススタイルを解いて言うが、今度はルナマリアが似たような目付きになるのであまり意味は無い。
 3人とも一度とはいえ世界の命運をかけて共に戦った戦友であり、短い間とはいえ同じ艦で暮らした家族だった。
 ミネルバがオーブを出た時に別れ、直後の激戦の力になれなかったのに、彼らは変わらず接してくれた。
「ただいま、みんな」
 こみ上げた熱いものを呑み込んで、九郎は笑顔で答えた。
「ただいまって……まあいいわ、おかえり。それよりやっぱりアレでオーブから追い出されたの?」
 ルナマリアが遠慮なく聞いてくる。
「追い出されたっていうより連合に引き渡されそうになってな。逃げ出した所をアスランに助けられたんだ」
「アスラン?」
「あ、もしかしてあの赤い戦闘機が?」
 疑問符を浮かべるルナマリアより先に、シンが察した。
「ああ、セイバーっていう可変MSらしい」
「変形を?」
 九郎の答えに興味を持ったか、ルナマリアの瞳が輝いた。
 まだまだ話したい事が多い所に、走って来たオープントップの軍用車両が近くで急停止した。
「ミスター九郎、ミスアル。ご同行願います」
 運転席の士官が飛び降りて、敬礼しながら言う。
「ああ、どうも。それじゃみんな、また後で」
 シン達に挨拶しながらアルと後部座席に座ると、急ぐよう命じられているらしい士官は乱暴にならない範囲で車を基地内で疾走させた。
 応接室に急ぎ案内された九郎とアルだが、その後は少々待たされた。
 1時間近く経ってから迎えが来て、会議室らしい部屋に通されると、ミネルバ艦長のタリアと数名の偉いさんっぽい軍人が待っていた。簡単な自己紹介の後、二人と顔見知りのタリアが中心になって質問してくるが、アスランを先に聴取したらしく大体の事情は知っているようだった。
 質問の内容はオーブ情勢が中心で、特に先日のフリーダムとアークエンジェルによるオーブ国家首長の結婚式襲撃・誘拐事件は、実行者の近くに居たこともあり詳しく聞かれた。
「するとお二人は襲撃の仲間に誘われたのですか」
「はい。勿論断って、オーブの軍や警察には無関係だって答えたけんだけど、やっぱり疑いは晴れなくて」
「当然でしょうね。しかし何故彼らはあんな事をしたのでしょうか?」
「さあ。世界の未来の為とか言ってましたが、さっぱりです」
「仲間に誘ったのに?」
「直前にちょっとありまして……俺達が応じるとは思ってなかったんでしょう」
「あ奴等の動機と目的、推測ならできるが、それで良いか?」
 それまで黙っていたアルが口を挟んだ。
「彼等と最も近くに居たのはお二人です。どんな情報でもかまいませんので、話して下さい」
「うむ。恐らくあ奴等の最終目的は全コーディネイターのナチュラル回帰であろう。その為には両者の共存するオーブが現体制のままでいるのが望ましいが、連合との同盟の流れは止める事は出来ず、本心では反同盟であるあの小娘首長も同盟派の小僧と政略結婚までさせられるというのが現状だ」
「カガリ様が連合との同盟と結婚には本心でないは確実なのですか?」
「恐らく。少なくともあ奴等はそう確信しておる。だからあの小娘を誘拐して、反同盟の旗印に仕立てるつもりであろう」
「なるほど。ですが何故プラントとの協力を図らず、単独で行動を起こしたのでしょう?」
「その話なら……ここ最近プラント議長の行っておる宣伝活動について話が及ぶが、宜しいか?」
 アルの思わせぶりな言葉に軍人達は顔を見合わせるが、
「配慮に感謝しますが、ラクス・クラインに関する情報なら、この場にいる全員は既に知っています」
 直接の描写を避けて、タリアが答えた。
「そうか。なら我らが世話になっていたマルキオ邸に本物のラクス・クラインが居たのも知っておるな?」
「具体的な所在地までは。ですがオーブに彼女がいる事は知っていました」
「そこがザフトのMSに襲撃されたのは?」
「!?」
 一同に走った動揺が、答えを語っていた。
「襲撃者はコーディネイターで、使用したのはアッシュとかいうMSだ」
「最新鋭機ではないか……」
 基地参謀と名乗った男が、呟きを漏らす。
「では口封じの為に、議長がラクス様を殺そうとしたと?」
 タリアの声も、僅かに高ぶっている。
「もしくはそう疑わせようとする者の仕業か。デュランダルならば我らがラクスと共に居ると知っておるであろうし、襲撃者がその備えをしていなかったのは妙だ」
「確かにミネルバを出たお二人がマルキオ邸に行ったのは、私も報告しています」
「だが暗殺部隊が出発したのはその前で、連絡が取れなかったのやもしれん。一人くらい生け捕りにすれば話も聞けたのだが、生憎と全員死亡してな」
「真実は闇の中、ですか」
「そういう事だ……」
 闇の中という言葉に、アルと九郎は僅かに反応した。
 結局彼らは、襲撃者のMSを取り込んだ闇については話さなかった。その前の暗殺の段階で魔術に関する備えをしていなかったのは事実だし、いかにデュランダル個人が魔術の知識を有していても、魔道技術の退化したこの世界であれ
ほどの魔を人為的に用意するのは不可能と判断したからである。

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